監視社会とは?そのメリットとデメリットを考える

監視社会という言葉を耳にしたことはありますか?読んで字のごとく、監視の進んだ社会です。進んだ…という表現よりは…監視の徹底した社会という意味合いで使われることの方が多いこの言葉ですが…実際にこれがどのような社会を表すのかご存知でしょうか?この言葉には悪いイメージが付随しがちですが、本当にそうなのでしょうか?今回はこのテーマについて、難しくなり過ぎずに検討してみたいと思います。

監視カメラを専門に扱うウェブサイトを運営することで、私は「監視」の定義を考えるものです。確かに、親が子供を監視する…隣人の動向を監視する…犯人を監視するなどと言えば、危険な雰囲気が漂います。しかし、プールの監視員はいかがでしょうか?危険でしょうか?いえいえ、むしろ、危険を察知してそれを未然に防いでくれる頼れる存在です。面白いもので、監視は使われる文脈で怖い意味合いも優しい意味合いも持つことができます。

それでは、先ほどの「監視社会」という言葉に返って考えてみましょう。日本は監視社会でしょうか?監視社会という言葉の定義ははっきりしていないので…明確な線引きをすることは簡単ではありません。Wikipediaによると監視社会とは以下のような意味になります。

監視社会(かんししゃかい)とは、警察官や軍隊、憲兵などにより過剰な監視が生じた社会の事…。街頭や公共施設における多くの監視カメラの設置などがあげられる。 ソビエト連邦、中国や北朝鮮では、党や軍が一方的に国民を統制、監視しているため、監視国家といわれる。

ここでのポイントは「過剰な監視」です。そのような意味で監視自体は何も悪くない、決して、ポジティブでもネガティブでもない言葉であることがわかります。また「多くの監視カメラの設置」という文言も、監視カメラに特化したウェブサイトを運営する者としては、無視できない表現です。注目したいのは「多くの」です。監視カメラの設置は、適切であれば、それはあらゆる危険を防ぐ手段となります。

だからと言って、監視カメラを増やすことが常に正義なのかと言えば、全くそんなことはありません。これは安全とプライバシーの欠如を秤に掛けて考えるべきトピックです。どれだけ安全であっても、全てが監視されている社会では、落ち着くことすらできません。有名なイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説に1984年というものがあります。これのテーマはズバリ、監視社会。監視がいきすぎた社会はどのようになってしまうのか…そんな部分に警鐘を鳴らす作品となっています。決して新しい本ではありません。むしろ、かなり昔に執筆された書籍です。なんと、驚くべきことに、イギリスでリリースされたのは1949年のこと。第二次世界大戦からさほど立っていないそんな頃に、もう監視社会の危険性を訴える作品が誕生していたのには驚きを隠せません。

この頃に、誰が…監視カメラが街のいたるところに設置された社会を想像できたでしょうか?誰が…自由に国の権力者の非難を口にすることのできない社会を想像したでしょうか?…実際、後者については、独裁社会の存在を知っていれば、容易に想像できることかもしれませんが、監視カメラとの関連性で監視社会を語る視点は秀逸です。

では、私たちはなぜ…このような仮説を以前から知っていた(または少数の人は危惧していた)にも関わらず…早めに手を打ってこなかったのでしょうか?その一つは、おごりでしょう。「本当に監視社会なんかやってくるの?」のような懐疑心です。SFの中の物語だと思ってあぐらをかいていた人はたくさんいたことでしょう。少し話が脱線しますが、SFの世界を単なるSFと考えない思考は非常に重要です。特に変化の激しい世の中では…数十年前にSFの世界に登場していたものは、すでに明日には生まれる…そんな状況なのです。スマホ一つを例にとってみても、物事の進化の速さを如実に感じます。

さらにもう一つ理解しておくべき点があります。それは、社会のシステムです。より具体的に言えば、社会の階層でしょうか。事実として、社会の大部分を支配する(直接的であれ間接的であれ)人と、そうでない人がいます。そして、社会を支配する側がその利益を確保するために何をするか考えてみれば答えは明確です。決して都市伝説の類を語ろうというつもりはありません。むしろ、これは揺るぎのない事実なのです。例えば大企業の経営者、政治家、国の権力者などなど…もちろん全員とは言えませんが、そのような人が利益を確保するために、監視社会というコンセプトはあまりにも好都合なのです。

ただし、それは、使う側の話。監視カメラそのものは危険を未然に回避するために開発された、頼れる存在です。どのような人が使うのか。どのように使うのか。これが明暗を分ける。今後の監視のあり方を社会の構成員一人一人が考えていきたいものです。